始めに  
本文では紹介できなかった、ヒント、実体験者の声や、管理人が学んだことを述べて行きます。役に立てたら幸いです。
    
 目次

1.大事な人を元気付けたい!       10.睡眠障害と鬱

2.なぜ死にたがるの?            11.心に寄り添うとは?

3.死にたくなったらどうするか

4.支える方もケアーが大事

5.労災と公務災害と
心の病


6.将来に希望が持てない

7.白黒思考の恐怖

8.こんな人もなるんだ!

9.鬱と躁

 
鬱やPTSDを身近に感じない人生は幸せです。しかし、不幸にして遭遇する可能性は、誰にも有るのは事実です。このページは心の健康を考えるコーナーです。
1.大事な人を元気付けたい!

 あなたには、うつやPTSDで傷つき、落ち込んでいる大事な人が居ます。あなたは、何とかその方の力になってあげたいと心から願っています。でも、ちょっと待って!あなたが、大事な人を励ますつもりで使う『元気になってね!』『もうちょっとだから頑張ろう!』『いつまでもくよくよするなよ』と言う一言は、大事な人にとって、かなりの負担になります。なぜなら、あなたの大事な人は、自から『元気になりたい!』と思って、今までも十分頑張って戦っています。そこへ、『元気になってね!』『もうちょっとだから頑張ろう!』『いつまでもくよくよするなよ』と言う事は、あなたの大事な人に、『限界まで頑張っているのに、これ以上頑張れって言うの?』という気持ちにさせ、あなたの気持ちとは正反対の方向へ、相手を追いやってしまいます。
 また、大事な人に、『思ったより元気そうで良かった!』というのも、本人の“夜はまだ眠れない”とか、“フラッシュバックをする”という現状からは、実感として元気になったからは大変ずれていて、『ああ、分かってもらえないんだ!』と落胆させる事もあります。
 あなたは、言葉をかけたい気持ちをグッと我慢して、あなたの大事な人の心に寄り添って、相手の言葉に耳を傾ける事に注力してください。ただ、傍に居て、受け止めてもらうだけで、大事な人の気持ちが和らぎ、“分かってもらえる”“支えてくれている”と実感して安定方向へ向かうって事を知ってください。

2.なぜ死にたがるの?

 うつやPDSTに苦しむ人は、時として自らの命を絶ってしまい、大事な人たちにうつやPTSDの種をばら撒いてしまうことがあります。私も、なぜ、死にたがるか分かりませんでした。そんな時出会ったのが、下園壮太著 『人はどうして死にたがるのか』(文芸社発行)です。この本によると、うつで発生する各種の症状は、太古の時代から人間のもつ感情のプログラムの暴走だそうです。昔々、ある集団と熊が出く合わすという危機が訪れた場合、たとえば、その集団にら、病気や怪我で弱った人間が居たら、逃げる時にも、戦う時にも、集団にとっては、弱った人間は妨げになるかも知れません。そんな時、弱った人間が自らの身を熊に投げ出せば、その間に仲間が逃げ切り、仲間の安全が守れるかもしれません。自己犠牲というプログラムはこうして生まれました。しかし、現代の人間に訪れる危機の中で、自らの命を投げ出して、仲間の安全を確保できるケースは殆どありません。しかし、かつてのプログラムは未だに生きており、心身共に疲れ果て弱りきった人間は、『自らの死で仲間が助かる』という、プログラムのささやきに乗ってしまうのです。先にも述べたとおり、大事な人の自殺は、残された人間にうつやPTSDの種をばら撒いてしまいます。かつては役立った感情のプログラムの明らかな暴走です

3.死にたくなったらどうするか

 死にたい感情が芽生えたら、とにかく誰かと話すことです。独りでこの感情と向き合うと、負けてしまうことがあるからです。特に、うつやPTSDの症状が回復期に向かい、体力が戻って来ると、発作的に自殺する力が生じます。しかし、この力を静止するだけの心の力は十分に回復していません。恋人でも、家族でも、親友でも、あなたの信頼できる人のもとへ電話してください。事前に自分の症状を伝え、緊急時に電話する旨の連絡をしておけば、大事な人の為です、一肌脱ぐのが真の恋人や親友というものです。誰かと話すことで(出来れば、一方的に、話を遮られない方が望ましい)心も落ち着きます(独り切りではない、受け入れられているという安心感が大事なのです)。不幸にして、夜中でも電話できる人を持たない場合は、24時間受付の『命の電話』に電話してください。カウンセラーがあなたの気持ちを受け止めてくれます。Aで述べたとおり、あなたの死は、あなたの大事な人たちを、あなたが苦しんだうつやPTSDにしてしまうのです。くれぐれも、早まらないで!

4.支える方もケアーが大事

 うつやPTSDとの戦いは、持久戦です。大事な人を支えたい一心で、がむしゃらにあなた自身も頑張って来たと思います。しかし、それだけでは、あなた自身が参ってしまいます。あなたが倒れたら、あなたの大事な人を支える事ができません。そこで、考えたいのは、支える側のメンタルヘルスです。あなた自身も、英気を養う時間を持ったり、悩みを人に話すことで、心の平安を保ってください。たとえ、あなたの大事な人が回復してきても、あなたの今までの苦労から出る愚痴を大事な人にぶつけるには、早すぎます。しかし、話さないと、あなた自身がパンクします。人って、誰かに認めて欲しい生き物なんですよね。あなたの苦労を共感的に聞いてもらえば、あなた自身の疲れも消え、また、新たに大事な人を支える力が沸いてきます。

5.労災と公務災害と心の病

 労災=労働者災害補償保険は、業務上や通勤途上の災害による怪我や後遺症などに対応するための保険制度です。例えば、仕事中、床で滑って転んで怪我をした場合、明らかに労災です。以前は認められにくかった過労による病死も、疲労の蓄積と発病の関係が認知され、広く認定される様になりました。また、心の病の内、欝は、心の疲労骨折です。『業務遂行性』や『業務起因性』との関連を広く認め、本人や残された家族の生活保障にという、労災の精神から当然の帰結と思います。
 しかし、PTSDの場合、事件事故直後に発症し、1ヶ月継続している場合以外、『業務遂行性』や『業務起因性』との因果関係を実証しにくく、また、精神科の先生の中でも誤診が相次ぎ、中々PTSDを労災に認定されにくかったのです。そんな中、地下鉄サリン事件は、非常に画期的で、事件でPTSDを負った多くの人が通勤途上の事件と認定され、労災から補償を受けています。

 公務災害は、公務員版の労災共済です。しかし、公務員は、過労による鬱(サービス残業では、残業記録が残らない)や事件事故に巻き込まれた為の、PTSDに発症する人の前例が乏しいらしく、心の病を公務災害と認定してくれない!
 しかし、おかしな話ですよね。労働や公務により心に病や傷を負ったら、それを救済するのが、労災であり公務災害共済の目的です。前例が無いから認定しにくいと言うのでは、何のための労災か共済か!民間は前例の無い事を切り開かないとご飯が食べられない。『業務遂行性』や『業務起因性』との視点で判断すれば、鬱やPTSDも労災や公務災害になるはずです。本人や残された家族の名誉(心が弱くて病になったんじゃない!仕事で病気になったんだと言う証明)や病気療養や生活保障為にも、速やかに認定される事を切に願います。

6.将来に希望が持てない

 鬱やPTSDの患者も、ある程度回復してくると、将来や人生の意味を考える様になります。しかし、現状は全治から程遠いのを一番感じているのは、患者さんご自身です。そうすると、将来や人生に希望を見出せず、失望してしまいます。その結果、体力が戻っている分だけ、衝動的な自殺に走りやすいのです。この場合、Fの白黒思考も疑って見る必要もあります。周りの人は、患者さんが焦っている場合は、『焦らなくて良いんだよ。健康な時、人生の意味なんか考えなかったでしょ?人生の意味を考えるのは回復してきた証拠なんだって』と焦りを上手く、受け止めて上げてください。
 将来を考え過ぎるのと同じ症状に、周囲を見過ぎて、回復の遅い自分に嫌気を挿す場合があります。職場でリハビリを兼ねて時短で勤務していると、周囲の人は物凄く仕事を抱えて大変そうです。『自分が病気でなければ、周囲の人の負担も減るのに…』。鬱やPTSDとの戦いは、持久戦です。回復してくれば、焦りを感じるものです。焦りを人に話すことで、心の平安を保つ様、周囲の人は、大事な人を支えて上げてください。大事な人の焦りが消え、疲れも消えれば、自然に生きる力が沸いてきます。

7.白黒思考の恐怖

 鬱やPTSDの患者の中には、白黒思考と呼べる思考パターンにハマっている人が居る。白黒思考とは、0か100かの二者択一の思考。『うつ状態から回復してきても、まだ完全な健康とは言えない。そうすると、自分は、まだ病気で駄目なんだ』と考えてしまう。客観的には、一時の絶望的な欝から見れば、状況は回復しているし、決して悲観する状態じゃないけど、本人は、白黒思考により駄目人間とレッテルを貼ってしまう。この手の思考の人は、完全主義者に多い。しかし、完全無欠の人間などいない。それが許せない。だから鬱になったとも言える。もっと、自分を楽にしてあげれば良いんだよ。人生は、真っ黒から真っ白まで、グラデーションをもっているから、色々な価値観が生まれるし、色々な出来事も起きる。だから、人生楽しいんじゃないかな?

8.こんな人もなるんだ!

 高校の同窓会の役員で昼食を取っていた時、ふとしたきっかけで、鬱の話が出てその中で、後輩の女性が『通信制の大学院で心理学を学び、臨床心理士になりたいんだ』と言った。彼女は、3児の母で、家事と育児をしながら、仕事もしている。おまけに、幼稚園と小学校のPTAの役員をしていた。私から見ても明るく活発で、とても3児の母とは思えない彼女も、実は鬱に罹っていた。先のPTAについても、無理やりやらされたと言うより、自ら参加したそうだ。自分でも鬱になるなんて考えても見なかったそうだ。色々なことが楽しく、疲れたという実感も無かったそうだが、やがて夜眠れなくなった。心療内科に通うのも、睡眠導入剤を処方してもらうためで、同じ病院に通う鬱病の患者とは違うと思っていたそうだ。しかし、彼女の不眠は一向に良化しなかった。そこで、鬱の診断をすると、見事に鬱に罹っていたのだ。
 この話でも分かる通り、活発な人でも鬱に罹るのだ。決して心が弱いから罹るのではない。自分が楽しいと感じることをやっている限りでは、ストレスで鬱になることは無い。楽しさで快感物質が満たされ、脳は疲れを感じることは無い。しかし、実際には脳の疲労は進む。しかし、脳を必要以上に酷使すると、セロトニンの出が悪くなり鬱になるのだ。
 彼女はその後鬱の治療を受け回復したが、周囲のお母さん方にも、鬱に近い症状を持っている人が多いことに気付いたそうだ。そこで、先の臨床心理士になりたいと願うようになったそうだ。
 志は素晴らしいが、頑張り過ぎて、鬱が再発しないと良いのだが・・・。そう、何事も、良い加減(チャランポランということでは無いぞ)が肝要だ。

9.鬱と躁

 鬱病・鬱症から回復過程では、やがて自ら行動を起こし、楽しむことを始められる様になる。周囲の人は、大事な人が明るくなったと感じて嬉しくなる。『これで、鬱とさらばだ!』と。しかし、ここに重大な罠があるのだ。鬱病はセロトニンの出が悪くなる病気だ。ある程度回復するとセロトニンが出る様になるが、まだ完全にセロトニン量をコントロール出来る状態ではない。楽しいことをする間は、セロトニンをじゃんじゃん出し続けて、やがて躁状態になる。周囲も、異様に元気だと気付くだろう。しかし、今までが鬱で暗くしていた人が明るくなって、嬉しくなることは有っても、警戒する人は少ない。セロトニンの量をコントロールできないので、必要以上に出るぎるのだ。セロトニンが効いている間は、明るく元気な以前の大事な人に戻る。しかし、セロトニンを出し過ぎると今度は必要なセロトニンを出せなくなる。そうするとまた鬱に戻ってしまう。一度躁になって元気な自分取り戻したと感じた当人には、鬱状態に戻ることは周囲の想像以上に苦しい状態だ。鬱からの回復期は、周囲は必要以上に元気にさせない様に、気分のセーブを働きかける必要があることを肝に銘じるべきだ。

10.睡眠障害と鬱
自分が鬱になって、考えを変えました。『鬱は、心の疲労骨折』ではなく、『神経伝達系の病気』であると。鬱の初期症状に『睡眠障害』が出ます。『夜寝付けない』、『夜中に目が覚める』、『朝方ばっちり目が覚める』などが自覚症状です。気分障害で鬱が発覚する方も多いでしょうが、睡眠障害で発覚するケースもある。いわゆる仮面鬱だ。夜眠れないので、酒でごまかしても、良質な睡眠は得らない。夜寝ていないから、『脳』も『身体』も休めない。気力と体力が奪われ、免疫力も下がる。無理して働いているのだから鬱がジワジワ進行していく。歩くのも億劫になり、気分は塞ぎがちになり、ちょっとした事で風邪を引いて3日寝込むようになる。睡眠障害が2週間続く様なら精神科か心療内科を受診してください。処方された睡眠薬は、1粒で散々苦しめられた睡眠障害から開放してくれる。(詳細は鬱・闘病記参照)

11.心に寄り添うとは?
最近『心に寄り添うとは?』どうすればいいの?という質問メールが届いています。確かに、だまって側に居てあげる事も大事ですが、それだけが寄り添う方法ではありません。ともすれば、鬱の患者さんに対して、『腫れもにも触る様な接し方』をしがちです。そうではなく、『普段どおり』が一番なのです。朝、起きて来たら普通に『おはよう』と声を掛けてあげる。『ご飯食べる?』(食べられなくても嫌味は言わない事などなどです。ただ気をつけないといけないのは、判断を迫ったり、何かを強要する事は避けてください。
ある程度元気が出てきたら、『散歩でもしてみる?気分が乗らなければ無理にしなくても良いんだけど』とか、疲れ果てていたら、『ゆっくり休んでれば?無理する事ないんだよ』などなど、相手の様子から相手に必要なアシストを提案するのですが、決して相手に決断を迫らないことです。鬱の人にとって、決断する事自体が変なストレスになるからです。これが『心に寄り添う事を優先して』にあたると私は考えております。